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チャイムの音というのは、どこの学校も同じようでいて、実はそれぞれに特徴がある。
この学校のチャイムは、杏が以前に通っていた所と比べて、低く、ゆっくりとした音だった。
始業式であるこの日、二年二組の教室は、チャイムが鳴り響いても、
大人しく席に着いている者など数えるほどしかいなかった。
大抵は、新しい級友と、あるいは以前同じクラスだった者と、思い思いに騒いでいた。
そんな中、窓際の一番後の席で、静かに読書に耽る生徒がいた。
数少ない「大人しく席に着いている」女生徒である
永倉 希は、
元々読書好きなこともあったが、それ以上に一人でいることが好きなため、
一年生の頃の入学式でも同じように朝を過ごしていた。
長く揃った前髪は、眼鏡ごと顔の上半分が覆い隠し、
その視線が本当に本に向いているのかも、はっきりと確認できない。
文庫本に半ば隠された口は「へ」の字に結ばれており、殆ど動きを見せない。
それは、少しでも自分とそれ以外を隔絶しようとしているようにも見え、
なんとなく近付きがたい空気を漂わせていた。
時々、クラスの明るい……と言うよりは、あまり何も考えていないような連中が、
からかうように話しかけて来たりはしていた。
だが、無視を決め込んでいると、それは次第にエスカレートして行き、
やがては読んでいる本を突然奪われたり、紙屑か何かを丸めて投げつけてくるなど、
下手をすればいじめとも呼べるものにもなっていた。
幸い、二年生に進級することで、その連中とは別のクラスになり、希は以前と同じように、
目立たない位置で読書に耽ることができるようになりそうだった。
希にとっても、クラスメイトとも互いに関わり合いにならない状態が最良であったし、
希もそれが好きだった。
ただ、今の彼女は、読書というスタイルを取ってはいるが、頭の中に本の内容は全く入っていなかった。
原因は、登校中に出会った不可思議な出来事。
希の瞳には、あの時「降って」きた女の子が焼き付いて離れなかった。
空から降ってくるという異常事態も確かに希にとって衝撃的ではあったが、
それ以上にその女の子が頭の中で一杯になる理由があった。
女の子は、今まで見たことが無いぐらいに、可愛らしかった。
希と同じように、少し前髪が重なってはいたが、
丸っこく開かれた目はそれが気にならない程に際立ち、瞳の輝きと黒さも相まって、純真無垢な印象を与える。
その眼でじっと見つめられると、それだけで彼女から逃れる術はなくなってしまいそうだった。
そんな瞳も含めた端正な顔立ちは勿論、降ってきた時の風圧で乱れた髪を直す仕草も、
希に話しかけてきた時の透き通るような声も、全てが女の子の「可愛らしさ」を構成していた。
顔を赤らめてはにかみながら希に黙秘を願う様子は、天邪鬼ですら素直に従わせてしまいそうだった。
いくら頭の中から振り払おうとしても、女の子の姿は消えない。
それどころか、余計に意識してしまい、一層脳裏に強く浮かんでくる。
もはや、女の子が離れないのではなく、希自身がその女の子の姿を手放すことを、無意識に拒んでさえいるようだった。
結局、希は読書に集中しようとしてもままならず、
気を落ち着かせるため――読書もその手段だったのだが――窓の外でも眺めようと顔を上げる。
そこで、異変に気が付いた。
クラスの風景は、いつもと大差は無かった。
しかし、違和感は確かにその中にあった。
教室のあらゆる場所に散らばる生徒達。
その視線が、全て自分の方を意識していた。
ある者は話をするふりをしながらちらちらと、またある者は机の影などから目立たないように。
ある者などは、堂々と希の方を凝視していた。
希は、自分に何か目立つ要素でもあったのかと考え、周囲を見回した。
そして、クラスの視線は、自分に集まった訳ではないのだと、すぐに理解した。
「あれ? あなたは、さっきの……」
クラスの視線が集まるのも無理はなかった。
希の隣の席には、先刻の美少女が何食わぬ顔で座っていたからだ。
「同じクラスだったんですね」
頬が紅潮しやすい体質なのだろうか、
路地裏で出くわした時と同じように、赤くなりながら困ったように少女が微笑む。
紛れもなく、さっきも見た笑顔だった。
たったそれだけのやり取りで、クラス内のどよめきが大きくなった。
同時に、希も思わず赤面し、慌てて顔を背けてしまった。
――どうしてこの子がここにいるの!? ああ、そう言えば確かにうちの制服着てたし。
でもでも、初めて会った子が同じクラスなんて! うわあーさっきの記憶
――って言ってもほんとについさっきだけど――と比べても更に可愛い……じゃなくて、
こんな子、この学校にいた? それとも転校生?
そうだよね、一年の時からいたんなら絶対噂になってるもんね、こんな可愛い子。
もしかして、アイドル? とか? 待って待って、もしかしたら……。
免疫の無い状況に陥った希は、ひたすらに考えることしかできなかった。
傍から見ると、少女にそっぽを向いたまま固まっている状態ではあるが。
希の思考は止まり所を知らなかったが、やがて教室に入ってきた教師によって、
強制的に現実に引き戻されることになった。
希にとって、ある意味では救いの手でもあった。
「静かに。立っている者は席に着いて」
入ってきた教師は長身痩躯で、眼鏡をかけているが、その目つきは鋭い。
髪で眉が隠れている分、余計に鋭さを増している。
しかし、威嚇している訳でもなく、ただ自分をそのまま出しているという感じの、
むしろ落ち着いた風貌の教師だった。
教師は決して大声で怒鳴った訳ではなかったが、不思議と言葉は教室全体に行き届いた。
騒がしかった生徒達も、驚くほど素直にその教師の指示に従った。
「今日から一年、このクラスの担任になった黄瀬です。よろしく」
簡単な挨拶だけをして、黄瀬は生徒を体育館へと移動するように促した。
これから始業式があるのだ。
「担任が黄瀬先生なんて、新学年早々ついてるね」
「ねー。三組なんて岡本だよ。怒鳴り声、うちの教室まで聞こえてたっしょ」
「うわー、ご愁傷様」
「本当、二組で良かったー」
「なんか正体不明の子もいるし、楽しそうだよね」
移動中、クラスの数名が何やら話し込んでいた。
狭い廊下に数人が並んで歩くので、希はその後ろについて普段の半分ぐらいの速さで歩いていた。
「あの……」
と、前列のクラスメイトに若干の苛立ちを感じ始めていた希に、件の美少女が小声で話しかけてきた。
流石に、少し時間が経って慣れてきたとはいえ、やはりこの少女に声をかけられるといささか緊張してしまう。
「な……なんでしょう……」
顔をそらしながら、呟くように返事をする。
気が付けば希の顔にはうっすらと汗が滲んでいた。
自分では見えないが、もしかしたら赤くなってもいるかもしれなかった。
「さっきは、驚かせちゃってごめんなさい」
「さっき」と言うのが、登校時のことを言っているのか、教室でのことを言っているのかは分からない。
しかし、ちらりと顔を向けた時に見えた少女の申し訳なさそうな顔を見ていると、それも些細なことに思える。
「……いえ……」
希は、少女の方をなるべく見ないようにしながら、小さな声でそう返事することしかできなかった。
ただ、些細な、どうでもいい疑問が、ふと頭をよぎる。
どれぐらいの高さから、彼女は降ってきたのだろう。
あまりにもくだらないと、自分自身の考えを馬鹿馬鹿しく思いながら、
いつの間にかうつむいていた顔を上げた。
少女は少し先でこちらを向いて立ち止まっていた。
希自身も気付かぬ内に立ち止まっていたらしい。
「どうかしましたか?」
少女が首を傾げる。その表情には、純粋な疑問の色が浮かんでいる。
「あ……ううん、なんでも、ない」
希には、他の回答が見つからなかった。
4 END
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